第5章 ボパール / ヨーギニーの系譜
第3節 ビルラ美術館
ボパールに帰って、オートリクシャーでビルラ美術館に向かう。
今度の旅行では、ビルラ美術館とグワリオール考古博物館には幾つかのヨーギニー像があることがわかっていたので、是非訪れる予定であった。
ヨーギニー像を調べる場合、その像がどこで発見されたか、場所とできれば寺院名などを知らなければ判断できない。
そこで私はヨーギニー像の写真を撮るときは、像の下側にある名前を書いたプレートを含めて、撮るように心がけている。この方法で写真を現像すれば、倍率の高い虫眼鏡で以上の内容を、結構読み取ることができるのだ。
しかし、場合によっては、これだけでは判断できないこともある。普通は、所属の美術館でその像に関する文献があれば、購入することにしている。
今回も、所蔵のヨーギニー像の文献の有無を聞いたが、美術館の係の職員が外出しているので、しばらく待つことにした。
展示室の中をざっと覗いてみると、最初の部屋にヨーギニー像が4体あった。
美術館におけるヨーギニー像の扱いは、各美術館によって異なる。ビルラ美術館やデュベラ美術館では、玄関横の最初の展示室にあり、大切に扱われた。ところが、グワリオール考古博物館では、見学者の目につかない片隅であった。これは各美術館の展示の考え方によるのか、それとも神像の美術的価値によるのかは分からない。
4本の腕を持つヨーギニーはインドラニーである。(図5-9)
乳房の上には帯状のバンドをつけ、頭には王冠をかぶる。この女神はインドラニーだからアイラーヴァタという名の像に乗っている。
象頭のヨーギニーは、ヴィナヤキー(ガネイシャニー)である。(図5-10)
4本の腕は、破損してないが、乗り物は、ネズミである。
全体として、どの神像にも儀礼の跡の血の染みが残っているが、1番多く残っているのがヨーギニー・チャームンダーである。このことから、チャームンダーが1番信仰され、霊力も強力であると信じられたのがわかる。
現在ビルラ美術館にはヨーギニー像が4体あり、3体が座像ヨーギニーで、1つが立像ヨーギニーである。これらのヨーギニー像はすべてナレーサルと同じ10世紀中頃と考えられるが、ラジャスタンとマディヤプラデシュ州の境にあるヒングラジガー由来である。ガンディーサーガル・ダムを建設する際に、水没を恐れてこの辺りから神像が大量に収集された。
現在これらは断片を含めて500ほどあるが、ボーパル、インドール、ジャンシーの3個所の美術館に収納された。このビルラ美術館のものは、その時のものだが、このことから、かってヒングラジガーには少なくとも2つののヨーギニー寺院があったことがわかる。このヒングラジガーの町は、女神信仰の重要な町でその名から「ヒングラジ女神の砦」と呼ばれた。
ヒングラジガー由来の座像ヨーギニーの背板の特徴は、左右両側に2つの柱を透かし彫りする。上部両側にあるのは、天かけるアプサラ(天女)で、ヨーギニーの背面には同じ花弁の透かし彫りのある頭光がある。ヨーギニー像は、破壊されてほとんどが手足のない胴だけの像であるが、表面は光沢を残したふくよかな神像である。
デュベラ美術館のヨーギニー像に比べると、その表情はかたいが、ヨーギニー女神独特の崇拝者を畏怖させる表情を持っている。また、デュベラ美術館の背板は、伴神が埋め尽くすが、ビルラ美術館のものは、伴神がずっと少ない。
4体のヨーギニーの中で1番目立つのは、ヨーギニー・チャームンダーである。(図5-7)
図5-7 ヨーギニー・チャームンダー
蓮華座にすわり、その下には男が横たわっている。女神の額には、第3の目をつけ、その口は牙を出している。へその部分にはサソリがはい、首飾りと腹帯の替わりに蛇を巻きつけ、加えるに骸骨のついた花輪をつけ、どう見てもおぞましい姿である。
チャームンダーのやせ細った肋骨あらわに、乳房もしなびてたれ下がる。一口でいえば、女性としての美しさの反対の極みである。
女神の下にいる伴神は、同様しなびた乳房で、切断された首と骸骨盃を持つ。
もう1人の特徴的なヨーギニーは、3面のヨーギニーである。(図5-8)
この女神は、3面だがブラフミー(ブラフマンの妻)ではない。
なぜなら、ブラフミーであれば乗り物が白鳥(ハムサ)でなければならないが、実際は横たわった男である。
この女神は12本の腕を持ち、ラリターシャーナ座にすわり、横たわった男の背に片足を置く。ほとんどの腕は折れてないが、数珠を持つ腕だけは明瞭である。
額の中央に頭蓋骨のティアラ(頭飾り)を付けている。
図5-8 三面ヨーギニー
ヨーギニー像を見おわって玄関のポーチでしばらく係の職員を待った。
昼食時間をとっくに終わっても帰ってこないので、残念ながら辞することにした。
図5-10 ヨーギニー・ガネイシャニー
図5-9 ヨーギニー・インドラニー