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 西郡の寺院を見終えてから、ヨーギニー寺院を訪れた。
 今回のインド旅行の目的の1つは、カジュラーホのヨーギニー寺院を訪れることである。
 デヘージャー氏の本には、カジュラーホのヨーギニー寺院のカラー写真があり、『地球の歩きかた・インド』のカジュラーホの地図で寺院名が確かめられたので、是非とも訪れる予定であった。また今年手に入れたLonely planet社の『India』には、チョウサント・ヨーギニーの項目でかなり詳しく説明がしてあった。
 この本は良い本で、名所・旧跡・寺院など学術的なことも詳しく、宿・交通費・地図その他諸々の旅行者にとって必要な事柄は網羅してある。分量的には『地球の歩きかた』本の2倍ほどあって、『地球の歩きかた』に載っていない都市もかなり説明してある。ただ欠点は、当然のことながら英文であることだが、単語は平易なものが使われている。この地図から判断すると、寺院は西郡の寺院群から南に寄った所、道路からかなり入った所に位置しており、例によって丘の上に在るだろうと考えた。

第2章 カジュラーホ

第3節 割れたヤシの実 / チョウサント・ヨーギニー

 ゴータマ君が単車で先導し、私は自転車で進んだ。途中からブルトーザーが道づくりの真っ最中で、残りは徒歩で進んだ。カジュラーホの新しい観光資源として見直されているのだろう。
 寺院は全体が鉄条網に大きく囲まれ、下から見上げると平地に赤い砂岩で築かれた5mほどの四角錐台に乗っている。儀礼を秘密裏に行うため、通例ヨーギニー寺院は覗けぬよう丘の上に建てるが、カジュラーホ村には町から近い所に丘がないことが台を築く理由である。
 土台の上まで登ると、寺院の全貌が見渡せる。ほぼ縦30m、横15mほどの長方形である。無惨にも寺院の半分ほどは破壊されて、静まりかえってほぼ廃墟の観である。イスラム教徒が破壊したのだが、これは他のヒンドゥー寺院も同様である。
 カジュラーホのヨーギニー寺院は、オリッサのそれと違って構造的に長方形で、上部は天井がなく開放形である点は同じであるが、中央の壇はない。また寺院内の敷地は石板で葺いておらず、堅い赤土の砂地であるから排水設備も必要ない。(図2-8)

図2-8 ヨーギニー寺院(カジュラーホ)平面図

図2-8 ヨーギニー寺院(カジュラーホ)平面図

 寺院自体は小神殿が1列につならり、それぞれの小神殿には独特の石造の屋根が付く。屋根の部分を4角錐台に肉圧に築いているのは、屋根の重量を加えることによって、全体構造の強化を図っている。と同時に、寺院の全体構造が4角錐台であり、その上にある小神殿もまた部分構造として4角錐台であることは、一種の曼荼羅構造である。(図2-9)
 半分ほどの小神殿は破壊を免れたが、中には一体の女神像もなく、白日に虚しい口を開いている。この寺院は、チャンデラ王朝の初期の頃にできたものであるから、その権勢からして神像が今残っておればさぞ見事なものであろう。

 壊れた小神殿の壁の上に登って、寺院の全景を色々な方向から数枚撮る。
 青空を背景にして遥かに西群の寺院、カンダリヤ・マハーデーバ寺院のシカラを望むことができる。

図2-9 ヨーギニー寺院

図2-9 ヨーギニー寺院

 壁の上から降りるときになってゴータマ君は
 『神像のあった上の空間は通ってはいけませんよ』
といった。
 後でその理由を聞くと、
 『信仰しているものにとっては、神像があろうとなかろうと、その場所は聖なる場所であり、特に神像の上部の空間は人間が犯してはならないのです』
 ということであった。後日、西群のデービー・ジャガダンバ(カーリー女神)寺院を訪ねた際も、幾つかの壁龕には女神像がはぎとられてなかったが、プージャ(供養)の花が供えてあった。
 主尊のマハーマーヤーを祠った小神殿には割れた椰子の実が幾つか供えてあった。
 通常女神には割った椰子の実を、シヴァ神には椰子の実をそのまま供える。また、赤い小さな三角旗がいくつもおかれ、これももちろん神像がなくても神聖な場所であり、神のいます所としての標である。
 寺院を訪れるまでは遺跡と考えていたが、現在でもその信仰は残っているようだ。それは、寺院に入るとき裸足になること、赤い旗、割れた椰子の実が供えてあることからわかる。

 ゴータマ君の話では、今でも女達が集って祭りを行っているらしい。祭りに集まるのはほとんどが貧しい女達で、かっては生け贄も奉げられたそうである。

 ヒラプルのヨーギニー寺院には中央壇があり、シヴァ神がバイラブ神の形で祠っていた。カジュラーホのこのヨーギニー寺院も、仮に中央壇が破壊されようと、基礎の礎石が残っているはずだと、寺院内の地面を調べたが、全くそれらしき敷石はなかった。
 どうも長方形ヨーギニー寺院の形態には、中央壇はなさそうである。だとすると、ヴァイラブ神はどこに祠っているのかという疑問が残る。
 ヨーギニー儀礼では、ヴァイラブ神対ヨーギニー女神の関係を、男性信者対女性信者の関係に置き換えて行う儀礼であり、ヴァイラブ神を祠らなければ、儀礼そのものが成立しない。

 デヘージャ氏よると、小神殿は65あって、チョーサント(64)より1つ多い。したがって寺院奥にある一回り大きい主神殿は、ヴァイラブ神を祠っている可能性が高い。こう考えると主神殿には割れたヤシの実が供えてあったが、儀礼としてこれは誤りであり、ヤシの実はそのまま供えるべきであろうか。
 もう1つの疑問点は、ヨーギニー寺院の位置がカジュラーホの中心部、仮に西群の寺院とすれば、余りにも近いことである。ヨーギニー寺院はその儀礼の性格から、人里に離れた(孤立性)、かつ丘の上(秘密性)と、信者立ちが徒歩で参加できる近さ(利便性)の三つの側面がある。カジュラーホの場合、台の上に築き儀礼内容の秘密は保たれたとしても、中心部から余りにも近いため、誰が儀礼に参加しているかがはっきりと分かってしまう問題がある。この点については、私はこう考えている。
 ヨーギニー崇拝が確立されたタントラ初期の時代は、儀礼を秘密裏に行う必要があったが、カジュラーホのあるマッディアプラディシュ州は、タントラ教の一派カウラ・カーパーリカ派の中心地であり、また時代的にも日頃からヴァーマチャラの儀礼が行われ、特にこの点について秘密を保つ必要が薄れたと考える。

 カジュラーホのヨーギニー寺院のように長方形のものは珍しく、インド国内でも中央部だけに残っているようである。
 中央インドに現存するヨーギニー寺院はは2つ残っており、1つはここにあるカジュラーホのもの、2つめはグワリオール近くのミタウリーにある。元来はもう1グループ、アラハバード近くのリクヒヤンに在ったらしいが、残念ながら破壊されて、現在は残っていない。皮肉なことに、現存する2つの寺院カジュラーホとミタウリーにはヨーギニー像は残っていないが、生き残ったリクヒヤンの像には寺院が残っていない。

 デヘージャ氏の本には、カジュラーホのヨーギニー寺院にあったとされるヨーギニー像の写真が3枚存在するとあり、その内の1葉が載っている。何故それがこの寺院のものと確認できたかについては述べていないが、多分いろいろな事情があったのであろう。
 この像は明らかに「水牛の魔神を倒すドゥルガー・マヒシャスラ・マルディニー」であり、このヨーギニーの地方名として台座の下に「ヒンガラジャ」という名前がある。(図2-10)
 女神は、剣を持った右手を大きく振り上げ、左手は魔神マヒシャが変身した水牛の後ろ足を掴み、まさに剣を降りおろす瞬間である。あたかもくり返す神話の時間の中で、幾度も魔神を倒す刹那を切り取ることによって、永遠の時間における生そのものの意味を表す。右足は、全身の体重をかけて水牛の腹を踏み、左足は隠れて見えないが全体のバランスは良い。女神像の彫刻としては非常に写実的である。カジュラーホの女神像に比べると、全体として力強く、特に腹部・腰部ともずっと逞しい。したがってこの彫刻は、表現としては写実的でありながら、表現される内容は神話的であり、時間を超越する。

 神像の後ろの平板の形は、独特で将棋の駒のように先端が尖っており、その平面を井桁に区切って隋伴神を配置しているのはは特徴的である。また右手上にはカジュラーホの寺院によく見られる空想的な動物シャール・ドゥーラが見られるのも珍しい。
 この写真では女神の表情は、グプタ朝の神像のように半眼に見える。

図2-10 ヨーギニー・マヒシャマルディニー

図2-10 ヨーギニー・マヒシャマルディニー

 ところで最近になって神像そのものが他に1体存在することが判った。
 もう1体は『ESSENCE OF INDIAN ART』という本に、カジュラーホ考古博物館所蔵のヨーギニー像というカラー写真がある。
 以前考古博物館を訪れたとき、ヨーギニー像の有無を博物館員に訊ねたが、答えは『否』であった。今思い出してみると博物館前の道を挟んで向かえに収蔵庫があったが、鍵がかかっていた。多分ここに納めているのであろう。しかしこのような立派な作品でありながら、何故展示されないかはわからない。

 ヨーギニー像の第1印象は、崇拝者を見据えたその威圧的な姿である。(図C-5)
 右手は剣を背後まで振り上げ、左手は盾を構えている。崇拝者達を見下ろした目は血管が浮き出したように突き出し、口を半ば開いてあたかも信者達を叱咤激励する。梟と見られる鳥に跨がっているが、この鳥はヤマ(冥界の王)のヴァーハナ(乗り物)であり、したがってこのヨーギニーは崇拝者以外にはその圧倒的な力で「死と破壊」をもたらす女神である。そしてこの女神の残忍な口許に漂う写実性に比較すると、梟と考える鳥の稚拙さはまさに対照的である。西欧社会一般で考えられる写実性とは明らかに違う観点が見えるが、何故このアンバランスであるのか。

 ヒラプルのヨーギニーの個所で述べたが、神像とそのヴァーハナ(乗り物)との関係である。ヴァーハナは2つの働きがあって、その1つは神像名を決定することである。

    シヴァ ←  雄牛
    ドゥルガー ← ライオン
という関係があり、ヴァーハナを知ることによって神名を確定できる。
その2は、神格の性格を象徴的に付与することである。
    ヤマ(冥界の王) ← フクロウ
    ヨーギニー ← フクロウ   ←  ヤマ(冥界の王)
というシンボル操作によって、この神名不明のヨーギニーは「死と破壊」をもたらす性格が付与される。したがって、このシンボル操作においてはこの鳥がフクロウであることだけが明確になればよい。これがインドの象徴主義的表現である。

 さて、その他の部分を眺めよう。突き出したメロンのような乳房には、乳帯と首飾りが垂れ下がり、その豊かさ豊穣性を強調する。先のヨーギニー像と比べると、背面平板をパーラ朝の仏像のように横枠で区切って2重であること、随伴神を画面充当に配している点は同じであるが、台座には銘がない。頭光は他の1体にはなかったが、この像には平板を歯車状に打ち抜いたものがある。
 ヨーギニー像は普通64体がセットとして並ぶので、どうしてもその像は画一化しやすいのだが、この2体のヨーギニー像の構図は全く異なり様式化も見られない。たとえば顔の輪郭の違いや、腰辺りの肉付きは前の像よりほっそりとしているのは、作者が明らかに異なるからである。この神像の12本の腕の内ほとんどが破損しているが、全くそれが気にならないのほど実在感があり、見るものの目を釘付けにする。知られているヨーギニー像の中でも傑作の内の1つである。

図C-5 フクロウに乗るヨーギニー

図C-5 フクロウに乗るヨーギニー

 さて、話を旅先にもどそう。
 しばらく寺院入り口の階段に腰掛けて、ゴータマ君と彼の将来の計画について話をする。
 彼の希望では、ガイドの免許をとってプロのガイドになることが希望であるが、これがなかなか難しいとのこと。親戚にはホテルを経営したり裕福な人が多いが、その生き方を見ていると金の亡者のようで、そこまで金持ちになって金銭に縛られる生活にはなりたくないようである。
 実はこの頃、私自身も人生の岐路に立っていた。彼の率直な話を聞きながら、その話に触発されてこのような話をしたことを覚えている。というよりも、私が私自身に話していたのだ。
 ジョセフ・キャンベルの著書『神話の力』に出てくる話である。
 「サンスクリットは偉大な精神的言語ですが、そこには超越の大海へ飛び込む崖っぷちを示す3つの言葉があります。「サット(存在)」「チット(意識)」「アーナンダ(至福)」がそれです。私は考えました。私の意識が正しい意識であるかどうか、自分ではわからない。自分の存在だと思っていることが本当に私の存在であるかどうか、それもわからない。しかし、私の歓びがどこにあるかなら、よくわかっている。だったら、歓びに取りついていよう。そうしたらそれが私の意識と存在も運んできてくれるだろう、と。実際そうなったと思います。」

 カジュラーホは「国際観光都市」だから、彼はこの言葉をしばしば使ったが、簡易宿舎(ドミトリー)を開いて日々食べてゆけるだけの金が稼げればよいが、早く自分の家が欲しいとのことであった。ただ、日本人からお金を儲けることは生活のためとはいえ辛いものが有りながら、反面、どうせ自分が騙さなくとも他の人の手にかかるのだから、自分が良心的にごまかす方が結果的にその人には得になるのでは、と少し都合の良いことをいう。
 彼によると、観光客に対する値段は3つあって、1番高いのが「日本人観光客用」、次が「ヨーロッパ人用」、1番安いのが「インド人観光客用」である。もちろんこの「インド人観光客用」でも現地人の値段よりもかなり高いそうである。最近は「韓国人用」もあるが、これはほぼ「インド人観光客用」と同じとのことであった。情けない話だが、日本人は私も含めてほとんど英語が不完全で、かつ金銭的にも裕福であるから1番狙い易い。
 しばらく話しているうち、10才ほどの盲目の女の子がやって来た。
 先程寺院の壁に登って写真を撮ったとき、少し離れたところに窪地をはさんで古びた民家が1軒あって、そばに山羊の世話をする女性がこちらをずっと見ていた。私に気付き、観光客と見てとって娘を物乞いに寄こしたのである。

 どこでもそうだが、貧しい人々は皆ぎりぎりの地平で生きている。
 名前を聞いてもらうと『アシャンティー』といい、耳に残る美しい名であった。
 これは日本に帰ってからわったことだが、「シャンティー」は「平和」という意味だが、ヒンディー語では単語の前に「ア」が付くと否定の意味になる。したがって「ア・シャンテイー」は「平和で無い」という意味になる。
 確かに日本人の感覚からすれば、理解しにくい名前である。しかしインドには自分の子供に『アシャンティー』という名をつけなければならない生活現実があり、他方そのような人々がヨーギニー崇拝を行っている。

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