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第1章 ブヴァネシュヴァル / インド・シンボリズムへの旅

第1節 女神との巡り合い

 南インドの旅から帰ったのは、10日ほど前であった。
 今回のインド旅行の発端は、今にして思えば1冊の本との出会いに始まる。一昨年、ニューデリーの国立博物館の書籍部で入手した1冊『ヨーギニー崇拝とその寺院』である。
 インドに興味を持ち始めた頃は、ヒンドゥー教美術やその神話が中心であって、たまたま手にしたこの異色の書の内容も価値も全く分からなかった。旅の無聊のまま拾い読みをうちに、とりわけ数葉のヨーギニー女神の奇妙な微笑みに、ある種の戦慄を覚えていた。
 この本によると、ヨーギニーとは元来「女性のヨーガ行者」を意味するが、現在では転じて「半神半人の女神」や「魔女」をも含み、最後には「偉大な女神」まで強力になる。
 インドの宗教というと、一般的にはシヴァ、ヴィシュヌ神を中心とするが、これとは別にインド亜大陸の周辺部、アッサム地方を中心として8世紀以降、女神崇拝(タントリズム)が成立する。この女神崇拝の、より土俗的な形としてヨーギニー崇拝がある。
 初めて旅した世界であっても、人は彼なりのイメージをつかって世界の全体像を構成し始める。帰路につく頃には、私の「神秘インド」のイメージは、ヨーギニー伝説を通じて具体化されていった。
 帰神してからは、自分でぽつりぽつりと訳述しながらヨーギニー崇拝の儀礼を読み解いていったが、知れば知るほど理解しがたい。
 ところで、この本は製本の立派さにもかかわらず、どういうものか扉を開けると異臭が鼻につく。しばらくの間風に当ててみたが、気になって仕方がなかった。本の内容を理解することと平行して、色々調べてみると、こういうことらしい。
 副題にあるようにこの本は、血の儀礼を含むタントラの伝統について述べたものであるが、正統ヒンドゥーにとっては「異端の書」であり、ある意味で「不浄の書」である。したがって何等かの方法でそれを浄化する必要があった。インドでは日常的に穢れを浄化するために、牛の排泄物が用いられるが、この本も同様の措置が採られた。
 もっともこの本のどこにもこのことは触れられていない。在日の方に問い合わせをしたが、「宗教意識の希薄な日本人の感覚からすれば納得できにくいが、浄・不浄感の鋭いヒンドゥーにとっては、有り得る措置」であった。
 どうも私は、「大変な本」を手に入れたようである。
 このような紆余曲折を経て、改めてヨーギニー崇拝の核心とは何か、またこのようなタントリズムを成立せしめた歴史・社会的背景に惹かれた。と同時に、カースト意識に根差す浄・不浄感の強さを思い知らされたのである。

 昨今、特に若い人達のあいだではインド旅行は非常に人気が高い。
 7、8月のインド航空の直行便は、日本の若者で占められていると聞くが、「インドの魅力」とは一体何だろうか。翻って日本人のにとってのイメージとしての「インド」はどのように映っているのだろうか。いわく
    ・タージ・マハルに代表される神秘のインド
    ・仏教の発祥地としてのインド
    ・ヒンドゥー教とカースト制度の残るインド
    ・道路を悠然と歩む牛のかたわらで、路上生活者のいるインド
 等であるが、この時間的にも空間的に遠距離にあるという「異質さ」が共通項目として挙げられる。
 昨年、ムンバイ(ボンベイ)のジャベリー・バザールの北側にあるムンバーデービー寺院を訪ねたことがあった。
 入り口を入ったところから大変な雑踏で、デービーに供える花・ココナツの実、名も知らぬ草花などを売る人達、聖紐を肩にしたバラモン僧など、立錐の余地もない程である。
 境内の中は大理石が敷き詰められてあるのだが、雨上がりということもあって泥だらけである。残念ながら、ヒンドゥー寺院の境内では必ず裸足になることになっている。友人に靴と靴下を預けて、参拝者の流に乗って中へ入ってゆく。
 正面を入って左に曲がると拝殿になっており、人々はデービー(女神)にココナツの実を割って捧げる。
 拝殿の前から参拝者は一方通行で、警察官が手に棒を持って柵の上から交通整理をしており、とにかく大変な参拝者の洪水である。
 本殿の横に2部屋ほど伴神の神殿があって、中に入ってのぞいてみる。内は6畳程の小さな部屋で、中央に女神が一柱、花綱をかけられて立っておられる。その横でバラモン僧が、水を撒きながら参拝者の花をささげていた。
 沢山の人々が次々とお参りしているので、邪魔になっては迷惑だろうと部屋の隅によって周囲を見回していると、突然バラモン僧に水を投げ掛けられてしまった。
 瞬間、これは『邪魔だから、早々に立ち去れ』
という意味に感じ、非常に情けない気持ちでデービー寺院を退散することになった。
 単なる観光客としての中立の立場が、簡単にヒンドゥー教の厳格さにはじき出されたと感じたのである。
 翌日、ムンバイの空港に行くためにタクシーに乗ったが、運転手さんと色々と話しをするうちに昨日のことが心に残っていたので、水を掛けられたことの意味を聞いてみた。
運転手さんは
 『退散せよということは早計であって、それは多分女神の祝福でしょう』
ということであった。
 それでも何か釈然としない所であって、このことはそれからもずっと心の底に残ったままであった。というのも、仏教でも潅頂(頭に水をふりかけること)の儀礼があることは知っているが、それは身体を水で打つようなものではなく、寺院でのこととは余りにも違っていたからである。
 ムンバーデービー寺院の一件は、私が初めてインドを訪れた街のことであり、また訪れた最初の寺院であったので、強烈な印象が残った。そして、私のインドに対する「イメージの核」となっていった。

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