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第5章 ボパール / ヨーギニーの系譜

第1節 サンチーの仏塔において

 ボパールの朝は、珍しく曇り空であった。
 中央バスセンターまで歩く間に雨が降ってきたが、小雨のうちにサンチー行のバスに乗ることができた。
 2時間ほどで村に着いたが、降りたのは私達だけであった。
 バス停から遺跡までは目と鼻の先で、ゆっくりと歩めば心なしか村人の表情はボパールなどの都会と違って穏やかである。
 サンチーという言葉は前にも書いたが、「平和」「平安」という意味で、この穏やかな村に相応しい名である。

 こんな静かな村だが、新しい時代の波が押し寄せているのは、今年から外国人の入場料が10ドル(450ルピー)に値上げされたことである。

 ゆっくりと丘の上に登って行くと、登り切ったところに大ストゥーパがある。
 マウルヤ朝のアショーカ王が築いたといわれる1種の半球状の仏塔であるが、東西南北にはそれぞれの楼門(トーラナ)があって、見事な浮き彫りを刻んでいる。仏教関係の仏伝図や本生図が中心で、車輪や菩提樹であらわされた仏陀を祈る帰依者や、仏教説話(ジャータカ)を描いたものが多い。なかには有翼のライオン(グリフィン)や2匹の象が女神を潅水する図(ガジャ・ラクシュミー)等、仏教とバラモン教の混交が見えた。特に見事は、それぞれのトーラナを飾る樹精(ヤクシニー)で、それまで写真集で見慣れた私には、懐かしい姿であった。

 仏教の興った初期の時代、仏教とバラモン教はお互いが影響しあいながら、実際は競合の時代であった。だとすれば、仏塔の中の一番目立つトーラナに、ヤクシニー像を刻んだことは不思議である。より正確に言えば、仏陀をたたえる記念碑に、何故バラモン教に由来するヤクシニーを飾った理由である。
 一般的に言えば、「偉大な仏塔」には、その当時の最も美しくかつ豊である女性像ヤクシニーこそが相応しいと感じたインド人の美意識が根底にあったと推測できる。けれども、ヤクシニーは自然界における生産性の豊穣さの象徴であり、そのヤクシニーが仏陀の象徴をを支える構図が、その解答を示している。

 このように考えると、絵画のなかに当時の人々の考え方や意識を読み取ることが可能である。この方法が正しいとすれば、説話の中からも同じことが出来るのではないかと考えた。
 さて、今回の旅行の目的の1つは、ヨーギニー女神の系譜を辿ることだが、その根の1つはヤクシニーである。

 ところで、「ヨーギニー」という言葉は、現在インドでも多義である。

 それは時代と共に意味が変わったためで、それぞれの内容が多くの側面を持っている。デヘージャ氏も先の著書の中で、ヨーギニーの多くの側面について述べている。これらはヨーギニーの各時代の相であって、結論として、デヘージャ氏はいわゆるヨーギニー寺院に祠るのはその一部であり、それ以外は「ヨーギニー」の言葉を使うがヨーギニーの別の側面であり、これを区別する。
 私は寺院に祠るヨーギニー女神の相貌は、歴史的に大きく3つの要素が交わりながら構成したと考えたが、その1つがこのヤクシニーである。(巻末2 ヨーギニーの系譜)
(1)崇拝の対象としての女神(デービー)
(2)生産の豊穣を願う対象としての樹精(ヤクシニー)
(3)超能力を持つ人間としてのヨーギニー
 この稿では、特にヨーギニーのイメージの変化を中心に、そのの系譜について考えることにしよう。

 「ヨーギニー」の元来の意味は、ヨーガをする者(ヨーギ)の女性形である。


 古くから、ヨーガの道を極めようとした女性修行者達は、荒れ野をさまようのが常であった。

 彼女たちは定まった住居を持たず、困難なヨーガの道を極めようとしたので、その支持者からヨーギニーと呼ばれた。世俗的な生活を離れて単独で活動した者もあったが、幾人かで行動を共にする者達もあった。そして、このような困難な超俗的な生活を追い求めた動機も様々であった。
 右のヨーギニーの絵は、16世紀のヨーギニーを描いたものである。(図C-3)
 インドの民謡では、「報われない愛に悩む女性」を描くとき、しばしばこの絵のようにヨーギニーの姿として描く場合がある。

 この若い女性は、実らなかった恋ゆえに、そして自分自身を孤独に追いこむためにヨーギニーとなり、丘や谷間あたりをさまよい、ヴィーナで悲しい曲を奏でながら放浪するというのがこの絵の趣向である。

 この豪華な作りのデカン地方の絵は悲しくも美しいが、この話の裏側には、世を捨てたヨーギニーの姿は「報われなかった愛に悩む女性」という空想的なイメージでしか捉えようがなく、本当のところ世俗の人々には、ヨーギニーは理解を超えた存在であったというのが真実であろう。

 これらのヨーギニーの中には何年にもかけたヨーガの修行を通じて、しばしば魔術的な性格と超人的な能力を発揮するヨーギニーもいた。
 長い時間の経過を経て、ヨーギニーの元の意味「ヨーガ修行者」は、徐々に「霊能者」や「魔法を使う女」という意味に変質する。これらは高度なヨーガを通じて肉体の機能や呼吸を調節し、自分を空中浮揚させたり、他人を動物に変身させたり、心を操ったりすることを含んでいる。

​ イブン・バットゥータがインドを旅した14世紀頃、『3大陸周遊記』の中でヨーギニーについて記している。

 「彼等の中には、1目見ただけで、相手を殺す力があるものもおり、特に女の魔法使に多い。こういう魔女をカフタール(ヨーギニー)と呼ぴ、人の心臓を食うといわれている。だから魔女に睨まれて死ん々者の胸を裂いて見ると心臓がないという噂てある。デリーにいたころ、カフタールの1人が、子供を殺したというので、焚殺されたのを見た」

 したがって、14世紀にはヨーギニーは既に初期の意味を離れ「魔法を使う女」として畏怖される存在であり、相手を見るだけで災いをもたらす邪視や、人間の心臓を食うものとして恐れられた。

 ミニアチュア絵画では、ヨーギニーは夕暮れの森の中で独り樹の下に座り、彼女を保護するライオンと一緒に描くことがあった。他の絵では、ライオンの毛皮の上に座ったヨーギニーは、歩くための杖や笠、孔雀の羽根でできた空を飛ぶ箒などを傍らに置いている。(図5-1)
 説話の世界では、想像力を働かせ神ではないが人間以上の存在「魔女」として描いた。

 さて、このような「魔法使いとしてのヨーギニー」ないし「魔女」は、今まで見てきた寺院に祠ったヨーギニーと同じ範疇に含まれるのであろうか。また、もし含まれないとすれば、どのような関係にあるのか。今少し説話のなかのヨーギニーについて考えてみよう。

図5-1 夕暮れのヨーギニー

図5-1 夕暮れのヨーギニー

図C-3 ヴィーナを持ったヨーギニー

図C-3 ヴィーナを持ったヨーギニー

 インドの古典的説話譚といえば、私達日本人には仏教説話である「ジャータカ」が早くから名高い。この内容は、庶民に仏教の普及を図るもので、従って宗教色が濃い。 これに対して、中世ヒンドゥー教関係の説話譚の集成と言われるのが、11世紀のカシュミール人ソーマデーヴァの『カター・サリット・サーガラ』(物語の川が流れ込む大海)である。そしてこの本の1挿話として含まれるのが、これから述べる『屍鬼25話』の1節である。

 「私は苦行者ですから、いつも森の中をあちこち歩き回っています。私は偶々ここに到着して、夜、この墓地にいました。そこで、あちこちから集ってきたヨーギニーの1団を見たのです。
 その中の1人のヨーギニーは、幼い王子様を運んできて、その蓮華のような心臓をむき出しにして、バイラヴァ神に捧げておりました。やがて彼女は酒に酔い、祈祷している私の数珠を奪おうとしました。
 そいつはかなり幻力を備えていて、その顔は様々な恐ろしい形相をとりました。そして彼女はあまりにも調子づきましたので、私は怒って、呪文で先端を焼いた3叉の矛で彼女の尻に烙印を押してやりました」(翻訳:岩本 裕、岩波文庫)

 この話から、魔女としてのヨーギニーは、真夜中に集団で集まって酒宴を催し、ヴァイラブ神に人間の心臓を奉げ、また超能力=幻力を使うことが読み取れる。また、この時代すでに苦行者(ヨーギ)は、ヨーギニーを自分達とは別の範疇で見ており、それは超能力を持つが「魔女」という人間とは別のもの、粗野で「汚らわしい者」と見下している点が特徴的である。
 これも『カター・サリット・サーガラ』の挿話の1つで、王妃がヨーギニーになり空を飛ぶ話である。

 「妾が水浴をしましてガネーシャを祀って彼女の前に平伏しますと、妾の衣服を脱がせ、曼荼羅の中で怖ろしいバイラヴを祀らせました。妾に潅頂しましたのち、彼女は自分の知っている数々の呪文を妾に教え、神を祀るために供えてありました人肉を妾に食ぺさせました。
 妾が数々の呪文を唱え人肉を食ぺますと、妾は忽ちに裸のままで友達たちと一緒に天空に飛び上りました。遊び戯れました妾は先生の命で天から下り、妾はもとの娘の姿となって自分の部屋に帰りました。このように妾は娘のときに魔女の仲間に加わり、妾たちは集って澤山の人間を食ベました。」
 

 この話では、人間がヨーギニーの仲間になるには、裸体になり灌頂を受け、人肉を食べることによって空を飛ぶ能力を得る。従ってヨーギニー崇拝は、死体儀礼を伴なうことが理解できる。
 今少し時代が少しくだって12世紀の後半頃のカルハナのカシュミール史『ラージャータランギニー』では、ヨーギニーの超能力の逸話として次のように描いた。

 ジャエヤンドラ王によって殺された大臣サンヒマットの骨は、サンヒマットの蘇りを予言した導師イーシャナによって墓地に運ばれた。
 「そして真夜中、その奇跡に不安を抱いていたために眠れなかったイーシャナは、神前の香を感じた。彼はたくさんのシンバルのガランガランという気味悪い音や、荒々しくならされた鐘の音、タンブリンの大きな音を聞いた。そのとき彼は、開いた窓越しに、ヨーギニーが薄明りの光の中に立っているのを見た。彼らは興奮しきっており、イーシャナは、骨がなくなっているのに気が付いたので、驚いて抜身の剣を手にして墓場へ進んだ。すると、彼は、手足の全部の骨がヨーギニーの輪座の真ん中にちょうど人型になって木に隠されたことを発見した。

 恋人との愛の悦びに飢えきって、ヨーギニーは酒を飲み、成熟した男を見つけられなかったので、(その代わりに)骨を見つけて、それを運んだのである。
 それぞれの異なった手足の骨には肉がつけられ、どこから持ってきたのかその部分には男の代物がつけられていた。ちょうどそのとき、ヨーギニー達は全部の手足を完全に作り上げていた。次の瞬間、サンヒマットの魂はその辺りに漂っており、別の肉体に取られてなかったので、ヨーギニー達はヨーガの秘法によって彼の魂をその肉体の中に入れた。それから、魔法の軟膏でマッサージすると彼は眠りから目覚めた。そして、自分の意志でヨーギニー輪座の指導者として、愛の方法で彼らと歓びを共にしたのである。」

 この話でも、前の話と同様にヨーギニーは真夜中に酒宴に集まり、陽気に騒ぎながら骨さえあれば死者を甦えさせることが可能である。しかしこの話では最も特徴的なことは、ヨーギニーの気違いじみた好色性であり、飽くなき欲望を示す。

 さて、次は複雑に込み入った13世紀のシムハサナ・バッティージ著作の『獅子座32話』で、伝説的なヴィクラマディティヤ王の美徳についての民族的な古典である。この挿話「奇妙な夜の出来事」は面白いので、敢えて長文を載せよう。物語の体裁は、ダーラーのブホージャー王が、木に彫刻した32人の少女像付きの古い王座を偶々見つけたことに始まる。

 「変装して、ヴィクラマディティヤ王はその王の国へ出かけ、非常に丁寧な言葉づかいで国王に仕えたいこと、今まで誰も出来なかったことを必ず行う約束した。この王は、毎日10万ルピーを人々のために使う慣例があった。この説明しきれない大金の謎を知りたいと、ヴィクラマディティヤ王は真夜中に王宮を抜けだし、湖近くのデービーに奉納した寺院の近くの森に出かけた。

 木の陰に隠れていると、ヴィクラマディティヤ王は多くのヨーギニーや他の女魔が集っているのを目撃した。非常に大きな鍋が火にかけられ、ヨーギニーは陽気にその回りに集って、祝宴を期待している。(図C-1)

 何の躊躇いもなく、その王は川に入って身を清め、そして沸騰した大鍋に身を投げた。事が終るや否や、ヨーギニー達は集ってその王の体を取出し、お互いに平等に分配して食べた。そしてその王の骨を元のままに置いた。

図C-1 不思議な夜の出来事1

図C-1 不思議な夜の出来事1

 次の絵では痩せ細ったヨーギニーのカンカーリンは、甘露水(アムリタ)を王の骨にかけると、王は復活した。それから王は女神を喜ばしたので、10万ルピーを受取り、貧者や困っている者達に、次の日に金を分け与えるため王宮へ引き返した。
 次の夜、ヴィクラマディティヤ王は、こっそりとその王の役割をするために変装をして、同じ場所に行き同じ手順を行った。水浴をした後、彼は自分の身体をヨーギニーに食べさせるため、同じ様に大鍋の中に飛込んだ。彼の骨は女神によって集められたが、それは女神が痩せ細ったカンカーリンに変装していたからである。そして女神が甘露水を彼の残骸にかけると、彼は復活した。(図C-2)

 彼はこの1回の行為では満足しなかったので、ヴィクラマディティヤ王はこの行為を8度行った。最後には彼の行為を非常に喜んで、女神は何か欲しいものを尋ねた。ヴィクラマディティヤ王は、女神に毎晩10万ルピー取出すことができる財布を気前のよい使用者である王に与えることを乞うた。

図C-2 不思議な夜の出来事2

図C-2 不思議な夜の出来事2

 彼が宮殿に帰ると、次の日の夜気前の良い王が例の場所に行ったが、あの寺院も場所も魔法にかかったように消えうせ、跡形もなかった。落胆した王が突然帰ってみると、ヴィクラマディティヤ王は約束を守って彼に人々に与えることを望んだ大変な大金の出る魔法の財布を渡した」

 この絵はベナレスヒンドゥー大学資料部(バーラト・カーラ・ブハヴァン)所蔵の19世紀の絵で、「不思議な夜の出来事」を描いたもので、1枚め、2枚目と物語が続く。(巻頭カラー絵)
 岸辺にいる無気味な女達はヨーギニーで、通常の人間の足先と異なって、ひづめ状であり向きが逆にであることに注目。ほとんどが裸体のヨーギニー達は、松明を持って興奮状態である。中央部の遠方にある白い丸いものは人間の頭蓋骨で、ヨーギニーが焼いて喰った残骸である。遠方の寺院では、赤い服を身に付けた女神が、棒と髑髏盃を持ってヨーギニー達を叱咤激励する。(図C-1)
 この絵の左側では、ヴィクラマディティヤ王が木の陰に隠れて、この驚嘆すべき光景を眺めている。中央部は、時間的に前後した2つの場面を1つの絵にまとめた。1つは絵の下方で静寂な川面に王が水浴をする場面で、この「静寂さ」は王自身の心の状態を表す。もう1つは王が決心し鍋の中に捨身しヨーギニーに食べさせる場面で、酒宴に集まった気味悪い裸体のヨーギニー達の、王の身体を喰い尽くす気違いじみた「陽気さ」を示す。

図C-1

 ムガール絵画と異なりラージプト絵画では、しばしばこの様な1図数景式画法を採るが、それはこの絵の物語性の表現であり、他方この絵の宗教性、奇妙な夜の出来事を通じて「神を称え、救済を願う」ことを表す。

 これ等の2枚の絵では、2つのヨーギニーの相を描いている。
 1枚目のヨーギニーは、王を喰う言わば「女性の欲望」の表現としての粗野で陽気なヨーギニーである。2枚目の絵のヨーギニー・カンカーリンは、腕4本を持ち額に第3の目を付けているから、女神が変身したヨーギニーである。私達はここで2種のヨーギニーを認めるのだが、この2種のヨーギニーの関係はどうなっているのか、ここでは全体を整理するために図式化して考えて見よう。(図5-2)

図5-2 ヨーギニーと女神の図式

図5-2 ヨーギニーと女神の図式

 カンカーリンは、女神が変身したヨーギニーだから女神と同質であり、言わば「ヨーギニー女神」である。しかしなぜ女神は変身しなければならなかったか。これは少し考えてみれば不思議である。
 女神であるデービーの出自については、女神信仰の聖典『デービー・マハートミヤ』に詳しい。この本によれば、女神はシヴァやヴィシュヌ等の諸神の「怒り」がエネルギーとなって集合したもので、エネルギーの集合体であるが、実体はない。
 シャークタ派の考えでは、それは「無限」「宇宙」「女性原理」を表現するだけで時間と空間を超越する。したがって女神は世界に顕現するとき、それぞれの場に相応しい相をとって何らかの神格、それはアンビカー(母親)、ドゥルガー(近ずき難いもの)、カーリー(時の女神)、パールヴァティー(山の娘)であり、この場合はヨーギニー・カンカーリンを通して現れた。

 女神についての考え方を正確にしておくことは重要である。というのは、ヨーギニー儀礼において、女性参加者を女神とみなし、女神の顕現として儀礼に参加するからである。
 次に岸辺で酒宴を行うヨーギニー達は、前述の説話の性質を持ち、その形態の特徴から人間ではなく魔女である。
 問題は、女神と魔女のヨーギニーの関係である。
 1枚目の絵を見る限り、女神とこれらのヨーギニー達の関係は、女神を主人とする「配下」のようである。この絵では女神が叱咤激励するように見たが、それはシヴァとその眷族ガナと同様の関係である。したがって、これらのヨーギニーとヨーギニー・カンカーリンは全く異なっており、前者は「魔女ヨーギニー」であり後者は「ヨーギニー女神」である。
 さて、本題に戻ろう。

 これらの3つの説話の中から読み取れるヨーギニーの性格は
(1)魔女としてのヨーギニーは、真夜中に集団で集まって酒宴を行い、曼荼羅の中で、ヴァイラブ神(シヴァ神)に人間の心臓を奉げる。
(2)人間も、裸体になりマントラを唱え、人肉を食べることによって、ヨーギニーと同様に空を飛ぶなどの超能力を得る。
(3)魔女としてのヨーギニーは、粗野で好色であり、飽くなき欲望を持つ。
 ヨーギニーの系譜では、この(3)の粗野で好色なヨーギニーは、今までの文脈で見なかったヨーギニーの全く新しい側面で、この性格は何に由来するのであろうか。私はこの答として、もう1つのヨーギニーの根であるヤクシニー(樹神)を考える時機に来たと考える。

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