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第5章 ボパール / ヨーギニーの系譜

第2節 ヤクシニー伝説

 古来インドには、若い女性が足をからませ蹴ることによって、花は咲き実をつける信仰があった。女性の子供を産む能力と、樹木の果実を実らせる力に、何らかの関連を認めたのが樹木信仰であり、収穫の豊かさを願う一種の豊穣信仰である。
 豊穣信仰の起源は大きく分けて2つあり、樹木に由来するものと、大地に由来するものがある。狩猟・採集生活では樹木信仰が中心であり、しだいに定住・農耕生活に入るにしたがって作物を産む大地信仰も生れた。
 樹木信仰は、古代中世を通じて人間と樹木が日常生活において、密接な相互関係を持つ「森の生活」を営む人々を中心に受継がれてきた。

 現在でもインド各地方において、春先のモフワの花の発酵酒、夏前の街道の高木に実ったマンゴーの実、1年を通じてバナナやタマリンドの実をカレー料理にして親しむ風景がある。

 果実が豊かに稔ることへの期待は、ヤクシニー(樹神:ヤクシーとも)を通じて具体化され、その手が触れることによって花が咲き、実を付けるという信仰を生んだ。そしてヤクシニーは、女性一般へと拡張され、類感呪術として女性の子供を産む力(生命力)は、樹木に転移するという信仰を育て、それは、「子供を望む信者たちは、樹から生まれた女神を礼拝する」という「ヤクシニー信仰」を育んだ。
 ヤクシニー女神は、もっぱら仏教徒やジャイナ教徒が崇拝した。仏教説話ハッティパラ・ジャータカにこのような話が残っている。

 「7人の子供を持つ貧しい女が住んでいた。
 子供らは自分の父親は誰かと母親に尋ねた。母親は、市街の城門のそばのバニヤン樹をさして
 『私がこの木に住んでいる神様に祈った際、神様はお前たちを与え、私の願いに答えてくれたのですよ』といった。」

 この「女性」と「出産」と「樹木」を象徴的に結びつけたヤクシニー信仰は、ブッダ誕生の伝説でも述べられている。

 よく知られているように、カピラバストゥ近くのルンビニー園で摩耶夫人は右脇腹からブッダを出産するが、このとき彼女が掴んでいた樹は、インド菩提樹(サラの樹)とも無憂樹(アショーカの樹)ともいわれる。
 ヤクシニー像は、初期の仏教遺跡バールフト、ボドガヤ、サンチー、アマラバーティーの彫刻にに見えるが、これらのヤクシニーは、かならず木の枝を持っている。

 樹の下に女性を描くモチーフは、仏教と共に西域・シルクロードを経て中国に伝わり、「樹下美人像」として東アジア一帯に広がった。正倉院の『鳥毛立女屏風』もそれで、したがってこのモチーフはヤクシニー起源である。ここで重要な点は、東アジアに広がった「樹下美人像」は、樹の下に女性を配する美術的なモチーフだけである。女性の分娩能力が、樹木の生命力に転移する樹木信仰の象徴的な内容は、「樹下美人像」の女性の手が樹の幹に触れていない事実から伝わらなかったと考える。
 さて、私達が今念頭に置いているヨーギニーのイメージは、ヤクシニー起源であると述べたのはクマーラ・スワーミー博士であった。前の章で述べたように、私はヨーギニーのイメージを辿るとき、その性的要素を考慮するならば、どうしてもヤクシニーまで遡らなければならないと考えている。

 次にこのヤクシニー(サラブハンジカー)とヨーギニーの関係を考えてみよう。
 私達がインドの田舎の村を訪ねると、中心にある通りにはバニヤン樹等の古木が鬱蒼と茂り、その根元には色々な石像が置いてある光景を目にする。事の成就を願う太腹のガネーシャ神が笑っていたり、雨乞い祈願のナーガ神(竜王)の石板がある。

 その中にあって美しい肢体の女神は、ヨーギニー女神である。

 街の人達のヨーギニーに対する願いは、子どもを授かることや、それ以外も夫婦に関するもの、もっぱら既婚の婦人方が祈っている。
 ヤクシニー信仰は、いつの頃かヨーギニー信仰へと変わった。
 歴史的にどのような課程を経て変化したか、詳しい事情は分からない。ほぼ想像できることは、ヨーギニーとヤクシニーの同一視の過程を経たであろう。
 もっとも、村の女神像などには銘などないから、造った当時はヤクシニー像であったが、時代を経るにしたがってヨーギニー信仰が拡大してゆけば、それをヤクシニーと知って同一視したり、知らなくて混同することもあっただろう。

 ヤクシニーとヨーギニーの関係は、魔術に関する文献『カウラウッディーシャナ・タントラ』に見える。この本には、「ヤクシニーの信者達」という章を含み、そこでは

 「ヤクシニーを姉妹、母親、娘、妻として適切に崇拝すれば、信者達にその全ての望みを叶える」

とある。その全ての望みとは、子どもの誕生のみならず、夫婦仲のこと、愛の歓びを知る等、女性が望む全ての願望である。例えば、先の文献には続いて
 「ヤクシニーを妻として礼拝するには、崇拝者は寝床に花をまきちらし、そこでヤクシニーを礼拝するが、ヤクシニー女神は真夜中に訪れ崇拝者を愛の歓びに導く」と教えている。

 これと同様に、カウラ派(ヨーギニー崇拝の分派)の文書には
 「ヨーギニーを母、姉妹、妻として礼拝するが、特に妻として礼拝すれば、崇拝者は、最上の至福を与えるであろう」
と述べている。
 デヘージャ氏が述べていることだが、これらカウラ派の文書では、文脈の構造は同じであり、「ヤクシニー」と「ヨーギニー」の語は交換可能である。したがって、これらの文書が成立した頃から、ヤクシニー信仰はヨーギニー信仰と重なり並行しながら、徐々に変化したのである。ヨーギニー崇拝がベンガル、オリッサ、中央インドを中心に各地に始まると平行して、その強力な超能力のためヤクシニーやサラブハンジカー信仰を吸収しながら拡大したと想像できる。

 最初にバールフト(BC1世紀)のヤクシニー像を見てもらおう。(図5-3)
 このヤクシニー像は、マンゴー樹を脚にからませ、手で枝を持っている。この初期のヤクシニーは、別にドゥリヤッドと呼ばれるが、まるで樹の精が中心から浮び上がったようである。石柱に刻んだせいか、平面的で女性としての魅力は後のサラブハンジカー像と比べると乏しい。

 これらのヤクシニーは、薄い裳を着け豪華な宝石をちりばめた下帯を前に垂らし、小人(ドォーフ)や象の乗り物(ヴァーハナ)に乗っており、神格ではないが人間以上の「半神」として信仰された。これらのヤクシーの臍には、十字の線が入っている。これは一般的にインドでは、美人の条件になっている。
 次に、私が訪れたサンチー(AC1世紀)のヤクシニー像を2体見て欲しい。(図5-4、5)

 これらヤクシー像は、バールフトのそれと比較すると表面的にマンゴー樹やサラの樹の枝を持っている点では同じだが、雰囲気として異なっているのは、その女性的な魅力である。大きく盛り上がった胸とくびれた胴、良く発達した腰にかけての曲線、どう見ても半神というより、表情豊かな年頃の女性像である。

図5-3 バールフトのヤクシニー

図5-3 バールフトのヤクシニー

図5-5 サンチーのヤクシニー2

図5-5 サンチーのヤクシニー2

図5-4 サンチーのヤクシニー1

図5-4 サンチーのヤクシニー1

 バールフトのヤクシニー像との違いは、乗り物に乗っていないことと、特筆すべきは性器を見せている点である。仏塔が建立された当時、参拝に訪れた仏教やジャイナ教徒の善男善女は、このヤクシニー像を目にして内心きっと驚いたに違いない。私には、小声で参拝者同士お互いに囁き合う光景が見えるようである。

 残存するサンチーのヤクシニー像は全部この様であるから、このことに何か特別な意図、もしくはヤクシニー像の意味の変化があったのではないか。タントリズムの影響のようにも思えるが、タントリズムの潮流は6、7世紀に始まるから、これは当っていない。
 実は、サンチーのヤクシニー像は、別にヴィリクシャキともいうが、後代のサラブハンジカー像である。サラブハンジカーは、一般にヤクシニーと同じ樹神の意味だが「サラの花を千切る者」または「樹下に立つ女性」を表わす述語である。

 サラブハンジカー像で最も美しいのは、コルカタ(カルカッタ)のインド博物館のものであるが、次にこれを見てもらおう。(図5-6)
 首を少し傾けて、手で裳裾を少しからげて性器を見せるが、その表情は随分と艶めかしい。重要な変化は2つある。1つは、彼女は樹に触れていないこと。2つめは、上側に男女の1組がサラブハンジカーを見ながら話をしている構図になっている。この2人は、何を話しているのであろうか。

 私の記憶では、カジュラーホの彫像にこれと同じ手で裳裾をからげて性器を見せる構図があった。これはもちろん出産を意味することではなく、カーマ(性愛)を意味する。したがってこれらの事情を考えると、このサラブハンジカーはカーマを表わしており、上部の男女2人は「うわさ話し」をしているのであろう。この様に考えると、サラブハンジカーのサラの花を「千切る者」と言う語の意味もよく理解できるのではないか。
 十数年前インド博物館を訪れたことがあった。

 このとき随分と驚いたのは、このサラブハンジカー像の乳房と性器の部分だけが黒光りしていて、その時は何か猥雑なものを感じたことを憶えている。今回ヤクシニー信仰について考える機会を得、今少し考えなおしてみれば、私は全く誤解をしていたのではないか。あれは、博物館訪れた子供や愛の歓びを願う女性が、祈願を込めて触れた跡である。したがって、あの黒光りした跡は、ヤクシニー信仰が今も脈々と生きている信仰の証しであり、祈願する女性にとってはたとえそれが博物館にあろうと、全く問題ないのであった。

 要約すれば、バールフトからサンチーへのヤクシニー像の質的な違いは、「女性」「出産」「樹木」の延長線上にあり、サラブハンジカーの位置づけは、「女性」と「性愛」がより強調した点にあり、より表情として豊かになったことである。

図5-6 サラブハンジカー

図5-6 サラブハンジカー

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